舟塚山古墳の北側、約300メートルに位置する前方後円墳で、舟塚山古墳群の中でも2番目の大きさの規模です。霞ケ浦に舟を乗り出す形なので出舟といわれ、舟塚山古墳は入舟と呼ばれます。築造年代は舟塚山古墳の築造時期に近く、およそ6世紀前半、埋葬者は霞ケ浦周辺で勢力を持った、舟塚山古墳の埋葬者に次ぐ有力者と考えられています。
1897年(明治30)年に東京大学の坪井正五郎教授が発掘調査を行い、無文素焼の壷7個を発見しましたが、詳細は不明で、内部構造については確認されていません。1979年(昭和54年)の周溝確認発掘調査により、全長が96.6m、後円部径57m、前方部幅57m、後円部高8.5m、前方部高7.5mの規模を持つことが分かり、その墳形は応神天皇陵(大阪府)に類似しています。この発掘調査で、円筒埴輪や象形埴輪片が出土しました。
住所 | 〒315-0044 石岡市北根本693 |