常陸国府跡は霞ヶ浦に注ぐ天王川と恋瀬川により形成される石岡台地に位置し、石岡駅から西に約1kmの石岡市立石岡小学校の敷地内にあります。
この周辺には、当時この辺りが常陸国の中心地であったことを物語る重要な古代遺跡が分布しています。北側には宗教的な役割を担った常陸国分寺・国分尼寺跡、鉄器工場として機能した鹿の子遺跡群があり、南側には茨城郡の郡立寺院である茨城廃寺跡や常陸国の総社である常陸國總社宮がありました。 当時の国の役所は現在の県庁にあたるもので国府の所在地は国の中枢として栄え、政治・経済・文化の中心地でした。
1960年を始めに2001~07年に発掘調査が行われ、掘立柱建物跡の柱穴や常陸国分寺跡と同種の瓦などが発見されました。 一連の調査により、7世紀末には南北棟中心に東を正面とする建物群が建設され、8世紀前半から9世紀後半には塀で囲まれた一辺が約100mの中心的な区画が形成され南を正面として「コ」字型に正殿(上写真)・脇殿が配置され、10世紀以降は、それまでの正殿の中軸線を踏襲して東西棟が建設されたことがわかりました。高い計画性をもった建物配置や変遷が伺われます。
2010年に指定面積28,540m2が国の史跡に指定されました。
住所 | 〒315-0016 石岡市総社1-2 |