山縣大弐は1725年(享保10年)現在の山梨県に生まれ、27歳の時に江戸に出て兵学を講じました。大弐は1759年(宝暦9年)に「柳子新論」を書き、尊王論を説きましたが、これらのことが幕府から咎められ、1767年(明和4年)に処刑されその生涯を閉じます。
3,000人に及ぶと言われた当時の大弐の門下生の中に、根小屋出身の薗部文之進という人物がおり、文之進は大弐の処刑後、根小屋の自宅にその首を埋葬しました。その後、明治になってから泰寧寺境内の現在の場所に改装されました。
明治維新後の1891年(明治24年)、大弐には正四位が贈られ、出生地には山縣神社が建立され祀られています。
1935年(昭和10年)、大弐の墓は県の史跡に指定されました。
住所 | 〒315-0132 石岡市根小屋779 |